確かに一時代を築いたハード、ファミリーコンピューター。これがなければ、現行ハードも存在しなかったはずだ。してたとしても、まったく別のものになっていたはず。数々のシリーズ作品だって、生まれていたかどうかわからない。我々は今まさに、これら「名機」たちに感謝をしなければならない。そして、今後の任天堂がファミコン時代のスピリットを引き継いでいくことを願う(申し訳ないけど、今の任天堂からはそのスピリットを感じない)。
こういう複雑なゲームしか知らない世代が、ファミコンのゲームに魅力を感じないのも無理はないよなー。「単純な面白さ」ってのも理解してほしいけど。ループする快感。トランスする快感。そう、昔のゲームってのはテクノなんだよね。単調な繰り返しに、ハマってく面白さ。だからこそ、ゲーム音楽とテクノは切っても切れない関係なんだな。
余談だけど、最近のテクノは複雑になってきて面白くないのも増えたよね。ゲームと同じか。
こんなもんが世に溢れ、連日放送されているワケ。で、そこそこ視聴率もいいと。それでよく、「ゲームの悪影響」とか言えるよなー、と思う。テレビの方がよっぽど「死」が溢れている。それを言うならまあ、ドラマだけじゃないよ。報道やワイドショーもそうね。凄惨な殺人事件を煽り立てるテレビと、ゲーム。どっちが影響があるのかな?自分の意志で買わないと遊べないゲーム。チャンネル回せばタダで誰もが見られるテレビ。どっちが有害なのかな?批評家さんたちは足りないオツムでよく考えなさいな。